臨床研究
最近10年間に経験した小児百日咳菌感染症154例の臨床的検討
梶ヶ谷保彦,他
Clinical study on 154 patients with pertussis infection in
childhood
Yasuhiko Kajigaya et al
Key words: 百日咳
要 旨
1991年1月から2000年12月の10年間に当科において経験した小児百日咳菌感染症154例について臨床的検討を加えた.西暦年別の症例数の内訳では1991年の21例から年々,徐々に減少傾向にあったが,99年の30例,2000年の46例と横浜市栄区周辺では1999年から2000年にかけて症例数の増加を認めている.また百日咳ワクチンを4回すべてが接種されている症例を17.4%に認めた.人工呼吸管理を必要とした症例は1例で,死亡例はなかった.年齢別では1歳未満の乳児に27例と最も多くみられ,男女比では男児 85例,女児 69例と男児に多くみられた.レプリーゼを確認できた症例は約15%であった.3歳以上の症例では典型的なレプリーゼを認めにくく,診断には主治医が百日咳菌感染症の疑いを持って抗体価を測定することが重要と考えられた.
は じ め に
百日咳は百日咳菌(Bordetella
pertusis)が引き起こす反復性の激しい咳嗽を主症状とする急性気道感染症で,決して過去の病気ではなく一定の周期をもって流行するとされている1-3).また百日咳は一定の死亡率がみられることから,流行の母集団の把握は重要と考えられている.今回,われわれの施設において1991年から2000年にかけて10年間に,小児百日咳菌感染症を154例経験し,横浜市栄区周辺では1999年以後,増加傾向にあることが判明した.その流行状況と臨床像について検討したので報告する.
対 象 と 方 法
対象は1991年1月から2000年12月の10年間に横浜栄共済病院小児科の外来受診患者および入院患者で乳児から15歳までを対象とした.診断方法は,百日咳抗体価(細菌凝集法)の測定において,山口株(流行株)抗体価/東浜株(ワクチン株)抗体価の比率で4倍以上の有為差を認めた症例を百日咳菌感染症とした.レプリーゼの確認および末梢血のリンパ球数増加についても検討した.3種混合(diphtheria
pertussis tetanus, 以下,DPT)ワクチン接種歴および基礎疾患の有無についても検討した.
結 果
西暦年別の百日咳菌感染症の症例数の内訳(図1)では1991年に21例みられ1998年まで,徐々に減少傾向にあったが,1999年になって30例,2000年に46例と1999年より症例数の増加傾向が認められた.
年齢別の百日咳菌感染症の症例数の内訳(図2)では,1歳未満の乳児において最も多数の症例数を認め,加齢とともに徐々に減少傾向にあるが,3歳と4歳の症例数にのみ逆転がみられている.
男女比では男児 85例,女児 69例と男児に多くみられた.人工呼吸管理を必要とした症例は1例で,死亡例はなかった.
レプリーゼを確認できた症例は15%で,全例が3歳未満の症例で,3歳以上では確認例はなかった.末梢血白血球分類でリンパ球比率が60%以上の症例は全体の33%であった.
基礎疾患の検討では,気管支喘息が46%と最も多く,主病名が気管支喘息発作として入院加療となった症例がほとんどで,喘息発作にて入院した患児には百日咳抗体価の測定は重要と考えられた.また百日咳菌感染を契機に喘息を発症した症例は20例(12.9%)であった.
DPTワクチン4回すべて接種していた症例は,ワクチン接種歴聴取可能であった132例中,23例(17.4%)であった.
以下に,DPTワクチン4回接種歴のある4歳男児で,集団生活をはじめたばかりの百日咳菌感染症例を示す.
症例:4歳,男児.
主訴:咳嗽.
既往歴:特記事項なし.2000年4月から幼稚園へ通園開始.
家族歴:父親は日本小児科学会認定医.
予防接種歴:DPTワクチン(百日咳抗原は東浜株)は4回接種済み:Lot No-HJ075C-武田(生後4ヶ月時), Lot No-HJ077B-武田(生後5ヶ月時), Lot No-HJ078A-武田(生後6ヶ月時), Lot No-HJ082D-武田(生後1歳7ヶ月時) ,麻疹ワクチン接種済み,風疹ワクチン接種済み,インフルエンザワクチン2回接種済み.
現病歴:2000年5月10日頃より咳嗽が出現した.発熱はみられず,あっても37.4℃までであった.患児は普段の感冒時には鼻汁を伴うのが常であったが,今回はみられなかった.15日よりセフィキシムと鎮咳剤を5日間投与した.その後,昼間は咳嗽は断続していたが,5月25日頃より次第に夜間の咳嗽が増強していった.5月30日より深夜帯に1〜2回/日,咳込みにて嘔吐がみられるようになった.患児は4回のDPTワクチン接種歴があり,レプリーゼをよく知る小児科医師である父親が患児にレプリーゼを1回も確認しなかったため,マイコプラズマ感染症の可能性を考え 酢酸ミデカマイシンを投与開始したが軽快しなかったため,6月6日に外来検査施行した.
検査所見:WBC 11,400/μl, St 1%, Seg 35%, Ly 62%, Mo 2%, RBC
396万/μl, Hb 11.6g/dl, Plt 30.5万/μl, CRP 0.20mg/dl未満, ESR 5mm/hr, TP 7.0g/dl, GOT 29
IU/l, GPT 12 IU/l, LDH 461 IU/l, IgG
755mg/dl, IgA 51mg/dl, IgM 101mg/dl, 寒冷凝集反応 16倍,ツベルクリン反応 5×5mm, マイコプラズマ抗体価(PA) 40倍未満,RSウイルス抗体価(CF) 4倍未満,サイトメガロウイルス-IgM抗体価(EIA) 陰性, IgG抗体価(EIA) 陽性. 百日咳抗体価(細菌凝集法):東浜株(ワクチン株) 40倍,山口株(流行株) 1,280倍.
経過:以上の検査結果より百日咳菌感染症と診断し,クラリスロマイシン内服を開始し14日間投与した.クラリスロマイシン投与2日後より,夜間の咳嗽発作がなくなり,徐々に昼間の咳嗽も軽快した.
4回のDPTワクチン接種歴があっても集団生活の始まった4歳児における百日咳菌感染症例を示した.
考 察
本邦での百日咳は,1974年にDPTワクチン接種後の死亡例が新聞報道されたのを契機に,ワクチン接種率が著しく低下し,1975年から流行がみられ,5年間で31,743人の患者届け出があり,118人が死亡した.ワクチン再開始後の5年目の5年間には4,731人の患者届け出があり,33人が死亡した.その後は,1990年まで徐々に届け出患者数は減少していた1-3).このように百日咳は一定の死亡率がみられることから,流行の母集団の把握は重要と考えられる.
今回の横浜市栄区周辺の百日咳患者数の検討でも,1991年以後,1998年まで徐々に減少傾向にあり,過去の感染症になりつつあると思われた.ところが1999年より著明な増加傾向を認め,横浜市南部地区の一般小児科医は,百日咳も念頭において,また百日咳菌感染症の疑いを持って抗体価を測定することが重要と考えられた.
本邦の定点における百日咳診断の主たる根拠は,長期間の咳嗽,夜間に強い咳嗽,レプリーゼ,白血球増多,リンパ球増多などで,臨床診断優先で,抗体価測定や菌分離は必ずしも行われていない2).平成11年4月から施行された感染症新法での報告の基準はも,@2週間以上の持続する咳嗽かつ以下の@,Aのいずれかの要件のうち少なくとも一つを満たすもの.@.スタッカートやレプリーゼを伴う咳嗽発作.A.新生児や乳児で他に明らかな原因がない咳嗽後の嘔吐または無呼吸発作.Aまたは上記の基準は必ずしも満たさないが,診断した医師の判断により,症状や所見から当該疾患が疑われ,かつ病原体診断や血清学的診断によって当該疾患と診断されたものとされている4).
今回のわれわれの検討では,レプリーゼは3歳以上では確認は困難であった.また,横浜市の定点からは最近での百日咳流行の報告5)はなく,レプリーゼなどの臨床症状で診断する定点チェックでは流行がとらえられにくい年齢層での流行もあると思われた.
今回,われわれが報告した症例のように4歳以後の小児ではレプリーゼがはっきりしないだけでなく,DPTワクチンが4回とも既接種でも百日咳感染がありうるので,咳嗽が長く続く症例では,特に集団生活を開始した児童では百日咳も念頭に置いて診療する必要があると思われた.
今回の100例を超える症例の検討結果でもDPTワクチン4回すべて接種している百日咳菌感染例が17.4%もみられ,横浜市栄区周辺における1999年,2000年の増加傾向はワクチン株側の要因も可能性として考えられ,今後の全国的な動向にも注目しなければならないと思われた.
結 語
横浜市栄区周辺では1991年以後,徐々に小児百日咳感染症例は減少していたが,1999年より明らかな症例の増加傾向がみられた.年齢は1歳未満の乳児に最も多くみられ,3歳以上の症例では,レプリーゼの確認された症例はなかった.DPTワクチンが4回接種されている症例は17.4%みられた.基礎疾患では気管支喘息が46%と最も多く,3歳以上の気管支喘息発作の患児では,DPTワクチン接種があって,レプリーゼがはっきりしなくても,症状が長引く場合には,百日咳菌感染症も疑い,百日咳抗体価の測定を行うことが重要と思われた.
なお本論文の要旨は,第50回共済医学会 (2001年10月17日,東京)において発表した.
文 献
1) 山本光興:新小児医学大系.第20巻D,小児感染症学W.東京:中山書店 194-208,1984
2) 堺春美:小児科 33:964-966,1992
3) 加藤達夫:小児内科 33:352-353,2001
4) 堺春美:感染症の診断・治療ガイドライン 122:206-209,1999
5) 週別報告定点医療機関あたり百日咳患者数(横浜市)